TSUNAMI DISASTER

スマトラ沖大地震インド洋津波のニュースはCNNもNBCも一日中やっている。刻々と被害状況が明らかになり、死傷者の数が増え続けるのを見ながら規模が違えど10年前の阪神淡路大震災を思い出す。当時は大阪市内で一人暮らしをしていた。国家試験前で夜中までだらだらと勉強して床に就いた直後に最初のゆれが始まった。”あっ、地震や。”と思ってとりあえずコタツの下にもぐりこんで様子を見ていた。かなり強いゆれが続く。ゆれている時間も生まれて初めて経験するくらい長い。ようやくおさまってコタツから這い出すと、本棚の本が数冊落ちている。それを元に戻そうと手に取ると水浸しになっている。よく見ると周りの畳も水浸し。電気をつけると熱帯魚を飼育していた水槽の水が半分くらいなくなっていた。僕の被害はその程度。床や本棚の水をふき取り、水槽に水を足してから念のため、実家の親に電話。しかし電話は不通。しばらくすると近くに住む友人から安否の電話が。市内通話はなんとか出来るよう。お互いの被害状況を報告しあい、電話を切る。しばらくコタツに入りながら横になってるうちにいつの間にか眠ってしまう。
再び友人からの電話で昼前に目が覚める。
”今すぐ、テレビつけろ。神戸がえらいことになってるぞ!”
あわててテレビをつけると、そこには地獄絵図が。つい2日前に通った阪神高速がズタズタに寸断されて倒れてる。何度も遊びに行っていた三宮が廃墟になってる。あちらこちらから火の手が上がってる。
それから数日間は全く勉強は手につかず、ひたすらニュースを見続けていた。実家の両親や兄妹の無事も確認できた。神戸に住む友人の安否を気にかけながら大学に行く。幸いみんな無事だったが、家には住めなくなっている奴らもいた。この大事な時期に・・・。神戸製鋼に勤める高校時代の友人は原付に積めるだけの物資を積んで大阪から一日何往復もしていた。避難生活している同僚に届けるために。三宮から兄弟で線路を歩いて大阪まで避難してきた友人は”水道が出ないことで一番困るのは、飲み水や調理に使う水がないことではなく、便所が流せないことや。”と教えてくれた。その友人はようやく梅田にたどり着いた時にいつも通り店が営業して、みんないつもと変わらず生活していることに衝撃を受けていた。まるで自分らが異次元から来たような気分になったらしい。
よく遊びに行った神戸。クラブの合宿でお世話になった淡路島。この愛着のある被災地に何かしたい。でも、国家試験の勉強もしないといけない。もう一年早く医師になっていたら・・・と、もどかしさに身をよじりながら勉強していた。




今年は本当に異常気象が続いた一年でした。もう、これで本当に最後になってほしいです。

あらためて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

来年はいい年になりますように。